若手の教室で授業をした。授業が終わった後、若手から「
僕は即答で「できるよ!」と言った。続けて「だって、 技術だから。技術としてやってるつもり」とも言った。
そう、授業で行っていることには意図がある。 意図がない指導は悪とまでは言わないが、心許ないものである。 このような趣旨の話は過去記事にあるので、 よければ参照ください。
kyousituchallenge.hatenablog.jp
話を戻す。指導に意図があるから、
「技術」として提示できないのなら、それは指導できている、 とは言えないのではないだろうか。僕はそう思っている。
もちろん、授業をしていると「技術」ではない、 その教師の考えや人となりが出ることはある。 それが授業に大きく影響することだってある。でも、 それは一旦脇に置いて考えないといけない。
指導していることを「技術」に分けてみる。 それを分けられれば分けられる程、指導できている、 と言っていいだろう。気をつけておきたいのは、 あくまでも指導できているであって、 その指導が効果的であるということを表していないということ。 指導の効果は、子どもたちを通さないといけない。そして、「 技術」 として分けられないものは考え直すか捨てるかしないといけない。
そんな視点で自分の授業での指導を見直してみませんか。