小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

大泉節炸裂!

 僕の好きなタレントの一人が大泉洋だ。押しも押されぬ俳優として知られるようになっている。だからか、昨年の紅白歌合戦の鹿にも抜擢された。評判も上々で、今年の司会も期待される。

 そんな大泉さんではあるが、僕としては「水曜どうでしょう」の大泉洋というイメージが強い。というか、大泉さんとの初遭遇は「水曜どうでしょう」だった。

 そんな大泉さんが、いくつもの媒体で書き散らしてきたエッセイを一つにまとめたものがある。それが『大泉エッセイ』である。今回はそのエッセイから、僕が気になった文章を紹介する。

誰かが言いました。

「世の中は変化だけが不変だ」と。

何事も変わっていくのです。そうなると大事なことは、「その時何を信じて生きているか」ということ、そしてもう一つ、「信じるものをどれだけあっさり見直せるか」ということだと思うのです。その方が人生は何倍も楽しいと思うのです。自分一人で何人分もの人生を送れるんじゃないでしょうか? 「そんなことはできない」を次の瞬間には「ちょっとやってみよう」と思えれば、世界の見え方が全く違ってくるはずなのです。やれない事ではないはずなのです。

「できない」って思ってるのも自分だし、「できる」って思うのも自分なわけですから、自分でそう思う分には簡単なはずなんですよね。

  新型コロナウイルスの影響で生活は大きく変化させられている。でも、大泉さんが書いているように「世の中は変化だけが不変」なのではないだろうか。今回はいきなり大きな変化をもたらしたからこそ、混乱が大きかったのだけど。

そこまで私が娘と過ごしたいと思うもう一つの理由。それは、

その記憶をほとんど娘は忘れてしまうからだ。

私がオムツを換えてあげたことも、私がお風呂に入れてあげることも、私と一緒に公園の遊具で毎日遊んだことも、雨の日に傘をさしてお散歩したことも、雪の中で転げ回って遊んだことも、うちで「おままごと」をしたことも、眠い目をこすって絵本を読んだことも、私と結婚すると言ったことも、おそらく彼女は忘れてしまうのだ。それは当たり前のことで、私にだって三歳の記憶は残っていない。

だからと思うのである。彼女が覚えていられない分、私たちが覚えてなければと思うのだ。私と妻は彼女が小さった頃、こんなに楽しかったんだよと教えてあげる義務がある。そして少しでも長く覚えてられるように、とことん楽しい思い出を家族で作らなければならないと思うのである。

  正月に両親の元を訪れると、昔の写真を見せられたりして昔話に花が咲く。今年はなかなかそれは難しかったのだが。それを恥ずかしくというか、うっとうしがっていたのだけど、この大泉さんの文章を読んで反省した。自分が覚えていないようなことを、両親は覚えてくれ、それを残してくれているのだ。「親の心子知らず」とは正にこのことである。

 いかがだったであろうか。みなさんにも引っかかるところがあっただろうか。もし、あったのなら是非とも手に取ってみてください。また、藩士の方にとっては「水曜どうでしょう」についての話も読むことができるので必見ですよ!