小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

からすの行水

今週のお題「お風呂での過ごし方」

僕はお風呂で温まるという感覚でお風呂に入っていない。どちらかと言うと、お風呂に入るのは少し面倒に感じているぐらいである。
さすがにもういい大人なので(笑)、お風呂に入らないということはないが。冬場は正直に言うと入らなくてもいいのではないか、と思う日が多々ある。
まあ、入ればそれなりに気持ちよさを感じるのですが。それでもやっぱり面倒に感じている。
そのような理由で、ホテル等の大浴場的な所にも魅力を感じない。そこでゆっくりしているぐらいなら部屋で呑みたい(笑)。
そんなこんなで、あまりお題にそぐわない内容になってしまいました。

一年スパンで

今週のお題「今月の目標」

 

  今月の目標なんて考えていないかな。お題として出されているから考えてみよう、と思わなくはないが、それでもやはりないかな。

  みなさんは、一月ごとに目標を立てたりしてるもんなのでしょうか?
  思い返してみても、あまり一月というスパンで目標を立てるということはしてきていはい。
  教師という仕事は年度というスパンで考えることが多い。だから、一年の目標というのは考えることが多い。
  そして、一年の目標はそれなりに形になるように取り組むようにしている。形にすることをしないと、きっとなあなあで終わってしまうから。具体的には教育論文という形や指導案という形にしている。
  目標を立てたのなら、やはりそれなりに結果や振り返りを残したいから。そうするならば、一月は少し短いように感じる。だから、一年スパンで目標を立てているのかもしれない。

ただ待つ

今週のお題「眠れないときにすること」

 

 眠れない時は、ただひたすら寝れる時を待つのみです。眠れないから、と言って特に何かをするわけではありません。

 僕はどちらかと言うと寝つきがいい方ではない。疲れている時や寝不足の時はいつの間にか眠ってしまっている、ということはある。しかし、たいていはなかなか眠れない。
 ということで、ひたすら寝れる時を待つこととなる。何かをするわけではないが、頭の中ではいろいろと考えていることが多い。今日の振り返りや明日の予定の確認等々。
 そこで考える時間が僕にとってはけっこう大切な時間なのではないか、と思っている。考えが盛り上がりすぎて、なかなか寝つけなくなるということもあるのだけども(苦笑)。

どんな肉が好き?

今週のお題「肉」

 

 肉っておいしいですよね。牛肉、豚肉、鶏肉、他にもいろいろ。ビーガンやベジタリアンという言葉が珍しくなくなってきてはいるが、僕としては肉を食べないということは考えられない。

 ということで、牛肉、豚肉、鶏肉の好きな食べ方を書いてみることにする。
 牛肉はシンプルに焼くのがいい。簡単に言うと焼き肉ということだ。やはり、焼き肉というのは今になっても特別な食事の一つである。
 豚肉はしゃぶしゃぶで食べるのが好きだ。しゃぶしゃぶは牛肉や鶏肉でもできる。でも、豚肉が一番おいしい。その中でもバラ肉がほどよく脂もありおいしい。
 鶏肉はグリルかな、焼き鳥も捨てがたいのだけど。グリルだといろいろな楽しみ方がある。鶏肉はバリエーションが豊かで安価というのが本当に魅力的である。そして、もちろん味も確かだし。
 書いていて、とにかく肉は好きだ、ということを再確認した(笑)

お茶をしばく

今週のお題「好きなお茶」

 

 好きなお茶は冷たいお茶。冷たければだいたいの種類は飲むことができる。

 麦茶、緑茶、ほうじ茶等々。でも、紅茶はあんまり好まない。いや、好まないというレベルではなく、ほとんど口にしない。もちろん、出されれば飲むのだけど。ちなみに、コーヒーも紅茶と同じくほとんど口にしない。
 だから、茶をしばきに行くということをあまりしない。例えば、茶店に入ったとしても、飲みたいものがあまりない。もちろん、入れば何かしらを見繕って飲むのだけど。
 ということで、たいていは自宅で普段から飲むものが、僕にとってのお茶をしばくということとなる。

夏休みの恒例

今週のお題「爆発」

 

 夏休みの終わり頃になると思い出す「爆発」がある。

 いや、花火ではないんです。確かに夏の終わりには打ち上げ花火というイメージはありますが。

 僕が思い出す「爆発」は、母の怒りである。

 夏休みになると必然的に家での時間が増える。もちろん、初めのうちは羽を伸ばす感覚で楽しいものです。ただ、ある程度の日にちが過ぎるとありがたみを忘れてしまう。

 そうなると、親(とりわけ母親)の負担感というものが大きくなってくる。親だって人間だもの(笑)。今となっては理解できるのだけども。

 我が家では必ずと言っていいほど夏休みの終わり頃に母が爆発していた。きっかけは些細なことのように記憶している。こちらとしては些細でも、母にとっては大事というか切羽詰まっていたのかもしれない。

 まあ、今となってはいい思い出とは言わないが、思い出となっている。母にはそんなこと怖くて聞けませんがね(笑)。

6000PV達成!

 いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。みさんのおかげで、先日6000PV達成しました。

 最近は、忙しさにかまけて全然記事をアップできていません。それでもこのへなちょこブログを訪問していただき、嬉しい限りです。

 駄文を書き連ねているだけなのですが、みなさんの反応があると、とても励みになります。

 これからもご愛顧よろしくお願いします。

余裕を作るということ

今週のお題「サボる」

 

 サボるという言葉には、かなりネガティブな意味合いで捉えられることがある。そのような文脈で使われる言葉である。

  しかし、サボるということは決して悪いだけのものではない。サボるという言葉だから誤解を生んでいるように思う。サボるということは余裕を作る、と言い換えることができるのではないだろうか。
  サボることで体力を余らせることにつながる。また、時間を余らすことにもつながる。だから、余裕を作るということなのである。
  そして、その余らせることのできた体力と時間を他のところに使う。これはサボらなければできなかったものである。
  だから、大いにサボっていいのではないか、と僕は思っている(笑)。もちろん、迷惑のかからない程度に。サボることでできる余剰がいろいろなことを効果的に行えることにつながる、と僕は信じている。
 

懐かしのゲーム

今週のお題「やり込んだゲーム」

 

 ゲームはもうやらなくなってしまったな。時間がないというか他にやりたいことがあるというか。時間的なものが大きいかな。

 でも、学生の頃はそれなりにゲームをしてきた。そして、それなりにやり込んだものもある。
 そんなことを思い返しながら、やり込んだゲームを三つ書いてみることにする。
 一つ、ポケモン。これは流行りましたね~。ゲームをしていない人でも、アニメは観ていたのではないか、と思う。それぐらいポケモン熱は高かった。けっこうシリーズをずっと取り組んでいた。その中でもやっぱり「赤バージョン」が思い入れが強いだろうか。
 二つ、ヨッシーアイランド。これが初めて全クリできたゲームではないだろうか。それこそやりこんだ、という表現がぴったりである。全クリしても何周もした記憶があるな。
 三つ、パワプロクンポケット。近年はこればかりであったように思う。これも長くシリーズを取り組んだ。その中でも個人的には「5・6」が好きだった。裏サクセスの方をやりこんでいた。パワプロは野球というかサクセスをするために購入していた気がする。
 以上が僕のやりこんだゲームたちです。また機会があればやってみたいな。

結果がわかっても見たいスポーツ

今週のお題「好きなスポーツ」

 

  スポーツ観戦はどちらかと言うと好きだ。

  先日まで東京オリンピックが開催されていた。 連日、いろいろな競技が放送されていた。そこでは初めて目にする競技もあった。熱心にとはいかないが、それなりに初見である競技も見ていた。

  このように、スポーツ観戦は苦にならない。 自分から情報を集め、進んで見るのは、野球、サッカー、マラソン、プロレスだろうか。

  マラソンは見ているというか、何となく正月は「箱根駅伝」だろう、と思っているので。それ以外のマラソンレースを見ることはほとんどない。

  野球、サッカー、プロレスは本当にちゃんと見ている。見ているというか結果を追いかけているだけではあるが。

  そして、この中で結果を知っていても見ることができるのはプロレスだ。野球とサッカーは結果を知った上で最初から最後までは見られない。せいぜいダイジェストぐらい。それも贔屓にしているチームが勝った場合。負けていたらダイジェストでさえ見たくないことが多い。

  しかし、プロレスはそうではない。野球とサッカーに比べると一試合ごとの時間が短いのは大きいかもしれない。また、プロレスでは贔屓にする選手というのがいないのも大きいかもしれない。好きな選手はいるが、こんな選手見たくもないというのはいない。

  そして、一番の違いは結果とプロセスどちらに力点を置くのか、ということ。 野球とサッカーは、やはり結果を重視する。しかし、プロレスはプロセスを重視する。プロセスと言うよりもストーリーの方が近いかもしれない。もちろん、結果も重要であるが、野球とサッカーに比べると比重は軽くなる。

  と、スポーツ観戦について書いている内に、プロレスについて語ることになってしまった。でも、僕としては楽しく書くことができた(笑)。

日々、自由研究

今週のお題「自由研究」

 

  自由研究は自分が学生の頃にはほとんどした記憶がない。

  小学生の頃、一度親の意向で? したように記憶している。でも、何をテーマにして自由研究を行ったのかは覚えていない。まあ、その程度ものである。

  単に僕が理科的なことに興味がない、というのは大きい。興味がないから、もちろん好きにもならなければ、得意にもならない。
  そんな僕が今では自由研究を日々行っている。もちろん、理科的なことではない。
  テーマにしていることは、教師という仕事をしていて日々気になること。気になったことを手帳にメモするようにしている。気になるというよりは、その日の振り返りという意味合いの方が強いが。そして、そこで気になることがでてきたら、そのことについて考えてみる。考えている内に新たな気づきができれば書き加える。また、書籍に当たることもある。
  このようにして、日々自由研究をしているようになっている。これは手帳にメモするというのが大きいのではないか、と思っている。

最近よく食べるアイス

今週のお題「好きなアイス」

 

  暑いですね…。このフレーズを毎日のように口にしている気がする。

  暑くなるとやっぱり食べたくなりますよね、アレが(笑)。そんなことを毎年のようにお題として書いている気がする。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

kyousituchallenge.hatenablog.jp

   せっかくなので、最近よく食べるアイスたちについて書いてみることにする。

   一つ「白くま アイスバー」。白くまという有名なカップアイス?  のバー状のものである。味は保証付きである。カップの方が好きではあるが、手軽に食べることができるのでよく冷凍庫に入っている。

   二つ「メロンだまシャーベット」。暑い日にはさっぱりとしたものがほしくなる。そんな時にうってつけの一品である。特別おいしいわけではないが(笑)、外すことはない。信頼して口に入れられるものである。

  以上のラインナップです。これからもたくさんお世話になるであろう。

 

ベテランがなんでベテランかというと、お客さんの反応を掴むことができるからだよ。

ベテランがなんでベテランかというと、お客さんの反応を掴むことができるからだよ。(by百田光雄)

 

 百田光雄は、力道山の息子というプロレス界のサラブレッドである。そうではあるが、全日本プロレス時代は第1試合に登場することが多く、「6時30分の男」という異名をとった。

 やはり、メインイベントが注目されるし、レスラーとしてはそこを目指すであろう。だから、第1試合なんて…、と思われるかもしれない。

 しかし、第1試合というのは、その興行全体を考えると重要な位置づけの試合である。第1試合だと、観客はまだまだプロレスという非日常空間に入り切れていない。だからこそ、まだ冷えている客席を温め、メインイベントに向けて盛り上げていく役割が第1試合には求められるのだ。

 このような重要な試合を任せられるというのは力がないと任せられない。だから、第1試合なんて…、と思うのは間違っている。観客が思うのはわからなくもないが、レスラーというプロから見ると決してそのようには思わないだろう。

 百田光雄が「6時30分の男」という異名をとることができたのは、この百田の言葉に詰まっているだろう。つまり、お客さんの反応を掴むことができるということ。お客さんの反応を掴み、試合を進めていたのだろう。冷えているのなら大げさな動きをする、温まってきたならお客さんに拍手等のレスポンスを求める等。とりあえず盛り上げればいい、というわけではないはずだ。

 では、ここで考えてみる。百田のように教師は子どもたちの反応を掴み、授業を進めているだろうか。教えないといけないことや教科書の内容を前面に押し出し、子どもたちの反応をつかむどころではない、ということになっていないだろうか。そんなことを考えた。

 新学習指導要領でも「主体的な学び」がクローズアップされている。子どもたちが主体的に学べるようにするには、子どもたちの反応を大切にするということは必要になるだろう。子どもたちの反応を無視し、ただ授業を進めることをしていては主体的な学びを生み出すことは到底できないだろう。だからこそ、百田の言う通り子どもたちの反応を掴むということを大切にしないといけない。

 それこそが、ベテラン・若手問わず、よい授業者の姿ではないだろうか。

しくじり授業④「一問一答型」

 以前に「しくじり授業」と題して、僕が(子どもも?)おもしろくない、と感じる授業に共通する型のようなものを書き綴っていた。それの続編を書いてみる。「しくじり授業」については過去記事を参照してください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

  

 四つ目の型は「一問一答型」のしくじり。

 一問一答ということは、教師からの発問に対して一人の子が答えて終わり、というもの。もちろん、発問によってはそれでいいこともある。しかし、終始一問一答というのはしくじりであろう。

 なぜなら、一人の子どもしか答えないことになるから。そうすると、教室にいる数十人の子どもは「自分は答えなくてよいだろう」と思ってしまいがちになる。そうなると、子どもは授業に参加しようとしなくなる。だから、全体に広げるということを教師が意図的に行う必要があるだろう。

 また、一人の子どもの考えだけで終わってしまうと考えが深まらない。だから、子どもの考えを問い返す等の教師の意図的な働きかけが必要になるだろう。

 一問一答型のしくじりを二つ書き出してみた。どちらかと言うと先に書いた方が大きなしくじりではないだろうか、と考えている。なるべく授業は全員参加を目指したいし、それは子どもたちに頼るだけではいけない。教師が全員参加を目指し、指導を工夫するということは必須であろう。

泣き虫の記憶

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

  僕はかつて泣き虫であった。今でも自他共に認める程、涙もろい。しかし、泣き虫と涙もろいというのは違う、と思っている。

  そんな僕にとっては黒歴史? とでも呼ばないといけない「泣き虫の記憶」を紐解いてみることにする。

  僕は何か失敗したり、間違ったり、嫌なことがあると涙を流していた。そして、周囲の人から「大丈夫?」だの「U-Tchallengeは悪くないよ」と慰めてもらっていた。

  どうしてあんなに涙を流していたのだろうか、と今では思ってしまう。涙を流すことにより、そこで起こっていることの責任を免れる、と思っていたのではないだろうか。涙を流すことにより、周囲から同情してもらおう、と思っていたのではないだろうか。

  涙を流していた理由を、現在の僕としてはこのように考えている。もちろん、感情が抑えきれずに涙を流していたこともあっただろうが。

  黒歴史と言いつつも、僕としてはけっこう印象的な記憶である。