小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

スライドで漢字学習

 漢字を書くことを苦手としている児童がいる。決して漢字の読み書きができないわけではない。漢字の画数が多くなると漢字の細部まで注意を向ける必要がでてくる。そのことが児童にとっては難しい状態であった。

 そこで、漢字を一画ずつ確認できるような教材を「スライド」で作成することにした。Microsoft社から提供されている「小学校で学習する文字のPowerPointスライド」を利用し、スライドで教科書に出てくる順番に漢字を配列した。そして、作成したスライドを児童と共有した。

 教材をスライドで作成したので、漢字の書き順通りにアニメーションになっている。よって、漢字の細部を視覚的に理解しやすくなっている。また、アニメーションを進めたり戻したりするのが容易であるため、繰り返し漢字の書き順やとめ、はね、はらい等を確認することができる。

 児童には新出漢字の学習の時に、スライドで漢字の書き順やとめ、はね、はらい等の細部を確認させ、それらを理解してからドリルに書き込みを行うように指導した。

 このような指導を繰り返し行っていると、児童は画数が多いものはスライドで書き順やとめ、はね、はらい等を確認し、画数が少ないものはスライドを使用せず自分で書き順やとめ、はね、はらい等を確認するようになっていった。そして、児童は以前より書き順やとめ、はね、はらい等に注意を向けながら漢字を書けるようになっていった。

 東京大学 先端科学技術研究センターの近藤武夫は、「他の生徒と同じ方法で読み書きすることだけがゴールになったとき、その生徒は学びの機会が得られなくなり、さらに皆と同じ方法で読み書きできない自分を否定して、自尊心や自己効力感が大きく損なわれ、学ぶこと自体を諦めてしまうことにもつながる。」と、指摘している(近藤、2016)。

 児童の自尊心や自己効力感を損なわないためには、児童自身が学び方を選択できる余地を残すことが必要になるだろう。この学び方の一つのツールとしてICT機器は有効だろう。

 今回の事例では、児童が学び方を選択する幅が広がったため、児童の主体性が引き出されたように思う。1人1台端末を活用し、一人ひとりの教育的ニーズに合った指導・支援を行うことで、児童の主体的な姿を引き出すことにつながるのではないか、と強く思っている。

手づくりは尊い

今週のお題「手づくり」

 

 僕は自慢ではないけど、手づくりしていることやできることはほとんどない。

 食で言うと、自分の体内に入るものは手づくりしているものは全くない、と言っても過言ではない。

 スーパーのお惣菜だって店内で手づくりされているものだってある。それに、さまざまな食材は誰かしらが手をかけている。だから、何でも手づくりされているものである。

 そう考えると手づくりは尊いな、と思う。僕のためだけではないだろうが、誰かのために手づくりをしてくれているのだから、とてもありがたいことだ。

 明日からも感謝して手づくりしていただいているものをありがたくいただこうと思う。

表裏一体

 子どもたちのさまざまな場面での言動を価値づけるということを意識している。こちらから教える指導するというだけでなく、子どもが持っているものや秘めているものを引き出しているイメージである。

 そんな価値づけについてもう少し考えてみる。

 例えば、「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」と、指導します。しかし、子どもたちにとっては他の選択肢もあります。「騒いで話を聴かない」「授業は面倒だから、参加しない」等。だが、そういう道は無いかのように、「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」ということを価値づけ、子どもたちをそちらに向かって進ませます。

 いや、けっして「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」と、指導することは間違っていないと思います。教師としては当然の指導だとも思っています。だけど、残念ながら「洗脳」という側面を全面的に否定できないとも思っています。

 北海道の堀裕嗣先生も著書の中で、以下のように述べています。

一人の担任が行う教育というものは、いかに優れた教師、視野の広い教師が行ったとしても、学級経営が成功すれば、そこには「洗脳」の側面があるのではないか

(『学級づくりの深層』多賀一郎、堀裕嗣・黎明書房・2015/11/20・p64)

 こう考えていくと、僕がしている価値づけは「洗脳」という側面がある。残念ながら…。

 しかし、だからと言って、あきらめて「価値づける」ことを止めてしまう、というのも違うと思っています。

 とりあえず、「価値づける」ことには、自分なりに意図を持って行っているが、「洗脳」という側面がある。

 今回は、一先ずここまでということで。いかがでしょうか?

デイジー教科書で読解

 文章を読むことに大きな抵抗感を持っている児童がいる。自力で読むことは難しく、追い読みなら何とか読めるという状態であった。その反面、読解力がないわけではなく、教材文を代読することで読解の問題を答えることができていた。

 そこで、「マルチメディアデイジー教科書」を使用することにした。マルチメディアデイジー教科書(以下、デイジー教科書)とは、通常の教科書と同様のテキスト・画像を使用し、テキストに音声をシンクロさせて読むことができるものである。

 国語科の物語・説明文の教材を学習する時には、デイジー教科書の読み上げる音声を聞くように指導した。また、読み上げる音声を聞き、その後聞いた箇所を範囲とした読解問題を解くように指導した。さらに、テストの時にもデイジー教科書の読み上げる音声を聞き、問題を解くように指導した。

 このような指導を繰り返し行っていると、テストの際に児童が自分で教材文を読んで問題を解くようになった。教材文の読みはたどたどしく、テストを終えるには長い時間を要した。それでも、児童は「疲れた」と言いながらも満足げな表情をしていた。

 特別支援学級に在籍する児童は、往々にして低次の部分で大きくエネルギーを使い、高次の部分にたどり着くのが困難なことが多い。今回の事例だと、時間をかければ文字を読むことができるがそのことに多くの時間を使ってしまい、肝心の文章読解を行うときには疲れてしまい取り組めないようなことが起こってしまう。

 よって、1人1台端末を活用し低次の部分を支援することで、高次の部分に取り組むことができるようになる。そのことで、児童の「できる」「わかった」という経験を積み重ねることができたのだろう。

ゆず「かける」

今週のお題「かける」

 

 このお題を見たとき、ゆずが歌う「かける」が思い浮かんだ。そして、この記事は「かける」を聴きながら書いている。

 ゆずが歌う「かける」を知らない方もいると思うので、「かける」の一部分になる紹介しようと思う。

一人じゃない 一人じゃない

一人じゃないから

未来へかける

 このフレーズが歌の冒頭やサビで歌われる。

 タイトルもそうだが、未来へかけるの「かける」の部分はひらがな表記である。

 初めて聴いたときは勝手に漢字を当てはめていた。僕は勝手に「翔る」を当てていた。前向きなポジティブなイメージを抱いていた。

 しかし、繰り返し聴いていると「駆ける」「架ける」「懸ける」という漢字も当てはめられるだろうか、と思った。

 きっと作詞した北川悠仁さんもさまざまなイメージを抱きながら作ったのだと思う。だからこそ、聴き手もさまざまなイメージを持って欲しいということなのだろう。解釈が分かれるところだと思うが、僕はこのように受け止めている。

 久しぶりに聴き直してみると考えることがあった。「かける」という言葉から記事を一本書くことができるぐらいに。繰り返し聴いてみるのはやっぱりいいことだよな、と改めて思った。

スライドを使って読字指導

 ひらがなを読むことができない児童がいる。一般的なドリルを用いて学習しても、機械的にひらがなを書くだけになり、学習したことがなかなか定着しなかった。また、ひらがなを読むことができないので、絶えず個別的に指導・支援が必要となっていた。

 そこで、五十音順に単語とそのイラストを合わせたものを「Googleスライド」で作成した。それだけでは、ひらがなを読めない児童が学習を進めていくには難しい。よって、スライドには単語を読み上げた音声で付けた。

 児童はイラストをヒントにしながら単語を読み、またそれをノートへと書いていくよう指導した。また、読めない単語は音声を聞くようにさせ、読みを自分で確認することができるよう指導した。

 このような指導を繰り返し行っていると、児童自身で読みを確認しながら学習を進められるようになった。最近では、学習に慣れてきたので、スライドからイラストだけを消去し、ひらがなの単語の読みと音声だけで学習を進めている。

 スライドを使うことで読み上げた音声を付けることができる。このことが児童自身で学習を進めることを後押ししている。そうなると、今まで個別に指導・支援していたのが減ることとなる。つまり、児童の自律につながる。また、他の児童への指導・支援へと時間を割けることとなる。

 特別支援学級の指導として、1人1台端末で児童自身が学習を進めていくための教材を用意することは有効であるように感じている。

消極的にマメ

今週のお題「マメ」

 

 割りと「マメだね」と言われることがあります。まあ、言われて嫌な気はしない。

 しかし、自分としてはそんなにマメではない、と思っている。僕がマメならば、世の中マメな人ばかりになるのではないか、とさえ思う。
 どうしてマメだと言ってもらえるのかを考えてみる。
 きっと連絡や返信が早いというか細かいだからだろう、と自分としては結論づけた。
 これはマメというか、連絡や返信を後でしようと思うと忘れてしまうから早いだけなのだけど。また、連絡や返信を忘れていて周囲に迷惑をかけたり、そのような言葉を投げかけられるのが嫌だからだけなのだけど。
 かなり自分本位なマメさであるように思う。まあ、それでも悪く捉えられていないのならいいのかな。

特別支援学級における1人1台端末を活用した指導・支援

 近年、人工知能ビッグデータ、IoT等の先端技術が高度化してあらゆる産業や社会生活に取り入れられた「Society5.0 時代」が到来しつつあることが指摘されている。また、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大に代表されるように、社会の変化が複雑化し予測困難となってきている。

 このような急激に変化する時代を生きる子どもたちにとって、教育におけるICTを基盤とした先端技術等の効果的な活用が求められている。それを踏まえ、1人1台端末及び高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備する、「GIGAスクール構想」が推進されることになった。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、「GIGAスクール構想」が前倒しで実現することとなった。

 「GIGAスクール構想」により、小学校に1人1台端末が整備された。これからは、1人1台端末を効果的に活用した実践が求められることとなる。それは、特別支援学級も例外ではない。

 「教育の情報化に関する手引」に、特別支援教育における教育の情報化の意義として、以下のように述べられている。

コンピュータや情報通信ネットワークなどのICTは、特別な支援を必要とする児童生徒に対して、その障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じて活用することにより、学習上又は生活上の困難を改善・克服させ、指導の効果を高めることができる重要な手段である。

 さらに、「教育の情報化に関する手引」には、発達障害のある児童生徒へのICTの活用として、以下のように述べられている。

発達障害のある児童生徒の中には、コンピュータ等の情報機器に興味・関心を強く示す者もいる。そのような児童生徒には学習意欲を引き出したり、集中力を高めたりするためにICTを活用することが想定できる。また、認知処理に偏りをもつ子供の場合は、情報機器によってその偏りや苦手さを補ったり、得意な処理をより伸ばしたりするなどの活用も想定できる。

 以上のことにより、1人1台端末を活用した実践は、特別支援学級において積極的に行っていくべきではないだろうか、と考えた。

 取り組んだ実践についてこれから少しずつ紹介したい。

教採のことを思い出してみる

今週のお題「試験の思い出」

 

 試験の思い出はいろいろあるが、直近で印象的なのはやはり教採のこと。久しぶりに教採のことを思い出してみることにしよう。

 とにかく緊張したことを覚えている。一次試験は特に緊張しただろうか。二次試験になると一次試験を経験したからか、あまり緊張しなかった。

 一次試験では筆記試験と面接試験があった。

 面接試験がとりわけ緊張した。声はうわずっていたし、いまいち何を話していたのかさえ覚えていない。

 試験官も「こいつかなり緊張してるな」と苦笑いしていただろう。もしかすると試験官は、温かい眼差しを送ってくれていたのかも知れない。緊張していたからか僕にはネガティブに映っていた。

 思い出してみようとしてもほとんど思い出せなかった(苦笑)。僕がこのエピソードから伝えられることは、試験には緊張はつきものだから緊張からあえて目を背けないようにしたらどうでしょうか、ということになるだろうか。

 試験にこれから臨まれる方々、くれぐれもご自愛ください。

授業・学級経営・仕事術 教師生活で大切なことを考える会

 昨年の終わりに「授業・学級経営・仕事術 教師生活で大切なことを考える会」に参加しました。若松俊介先生、樋口万太郎先生、小谷宗先生を講師として迎えた会であった。

 樋口万太郎先生、小谷宗先生は出版された『教壇に立つ20代のあなたに伝えたいこと』を、若松俊介先生は出版された『教師としてシンプルに生きる』を軸にしてお話された。そして、最後には参加者の質問に答えながらの座談会であった。

 個人的には若松先生がお話しされていた「シンプルに生きる」ということが考えさせられた。

 経験を積んでいくうちに自分の中にもう一人の自分がいるような感覚になってきている。表面での反応と違う反応をしている自分がいるということ。そうなってくると、一つ一つのことに素直に反応できなくなってきている自分に気づく。

 決して悪いことではないのだけどそれってどうなのよ、と思いながら悶々と日々を過ごしていた。会に参加して、そんな自分もやっぱりいいものだ、と思えた。

 「シンプルに生きる」ということは決して簡単に生きるということではない。でも、一言では言い表せないようなことではある。是非とも書籍を手にして「シンプルに生きる」ということをもっと考えてみたい、と思わされた。

外に出たい

今週のお題「あったかくなったら」

 

 暖冬とは言われますが、それでもやはり寒さを感じます。外に出ることはおっくうになっていまいますし、体を動かすのも意識しないとしていないことが長く続いてしまいます。

 早く暖かくなってほしいな、と日々思っています。そして、暖かくなったらやりたいことを考えたりもしています。

 暖かくなったらとりあえず外に出かけたい。外というのはどこかの店やショッピングセンターとかではなく。

 ピクニックもいいし、山登り、お花見のような外に出ることが目的にして外に出かけたい。バーベキューをするのもいいな。

 しかし、こんなに楽しげに考えておきながら、いざ暖かくなると外に出かけないのはなぜだろうか(笑)。

 暖かくなったときの自分に期待しておこうとは思う。たぶん外に出かけず、結局引きこもってぐうたらしているだろうな。

広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」

 先日、本屋B&Bが開催した、《広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」『ことばと算数』(岩波書店)『オーセンティックな算数の学び』(東洋館出版社)W刊行記念》に参加した。そこで考えたことや感想を書いてみる。

 一つは、オーセンティックな学習を構想することの必要性。オーセンティックな学びというのは学習指導要領改訂ぐらいからよく耳にするようになった。しかし、オーセンティックとなると生活に即したものという捉えがあった。

 例えば、玉子が安売りしています、10個入り100円のものと8個入り96円のものどちらがお得ですか、という問題を提示する。計算すると1個あたり10円と1個あたり12円となるので10個入りの玉子がお得だと考えられる。ここで生活に即して考えると10個入りの方がお得だが多いので食べきれない、賞味期限が長い方を買いたい等の、個別の事情が差し込まれることになる。そうなるとなかなか収拾をつけるのは難しいし、学習事項を教えるというには邪魔になりかねない、と思っていた。

 これはあながち間違ってはいないが、オーセンティックを排除し算数の問題として取り組ませることだけでは、子どもたちが学びを自分の方へと引きつけられないことが考えさせられた。そうしていると、算数の学びは深まるが、それを生活場面には使えない。切り離された学習になってしまう。これは算数だけでなく多くの教科における課題ではあるが、算数はそれが顕著ではないだろうか。

 よって、フィクションの問題を取り扱いつつオーセンティックに迫る子どもの姿があれば排除してはいけないだろう、と強く思った。また、ときにはオーセンティックに入り、フィクションに戻るようなことを意識的につくりだしていかないといけないのではないだろうか。

 二つは、言葉の意味をどのように解釈するかということに意識を向けるということ。このイベントのタイトルにある「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?」にもつながることである。

 ワークシートに「筆者の工夫はありますか」と書かれている。ある程度の空白が用意されている。こうなっていると、筆者の工夫について何かしら文章で書くことが期待されていることはわかる。ここで「あります」だけ答えるのは、わかるけど違うだろうということになる。これはイベントでも例として挙げられていた。

 このように、伝えたい意図や意味を理解できるのは当たり前と捉えないということが大切になるということ。言葉は言外にさまざまな意味を持たせている。特に教師は気づいてほしい、わかってほしいと子どもに期待しがちではある。多くの子どもは理解していくのだと思うが、もしかするとそこで引っかかり進めない子どもがいるのかもしれない。かもしれないという判断の保留のようなスペース的な考えは、子どもたちの学びを見ていくときには必要だろう。算数だけはないが文章問題の課題として、「結局国語力の問題だよね」となることがある。大雑把に言うとそうではあるかもしれないが、もう少しそこへとアプローチする手立てを考えないといけないだろう。

 講師お二人の著書も読んで自分自身の学びを深めていきたいな、と強く思ったイベントであった。

2023年にやりたいこと

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

 これを書いているのは、まだ2022年。ということで、少しにはなるが2022年を振り返ってみる。

 2022年は自分の老い? を感じる一年であった。体調が優れないときがしばしばあった。結局は、体が悪いと言うよりは運動不足であったり生活習慣の問題のように思っている。もう若くないので体を労りながらしていかないといけないな、と思っている。

 2023年にやりたいことは、学校図書館司書教諭の資格を目指したいな、と思っている。読書好きではあるが、読書指導や図書館教育については、あまり明るくなかった。しかし、そこに自信を持って取り組むためにもお墨付きを得たい、と思っている。具体的には放送大学が現実的かな、と思っている。少しでも学ぶということに取り組めるような一年にしたい。

 そのためには、もちろん体調を整えることは必須である。つまり、2022年と2023年はつながっていくということ。

想像力を考える

 少し前に障害者理解、もっと言うと他者理解のキーワードは「想像力」ではないか、ということを記事にした。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 そこでキーワードとして提示した「想像力」について考えてみている。

 そうしていると、学校教育の教科において想像力を育むことが目標になっていることに気づいた。

 その教科が国語科である。今さら気づいたのか、と言われると弁明はできません・・・。

教科の目標は,次のとおりである。

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う

⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編」より引用(太字は加筆)

 国語科で育てる想像力というのはどのようなものだろうか。国語科で想像力を育てる授業の具体はどのようなものだろうか。そんな新たな問いが生まれてきている。

 また、想像力の似ている言葉や関連がありそうな言葉を考えてみている。

 「察する」「推察する」「推し量る」「イマジネーション」「思いやり」等々。僕がここで考えている想像力は、他者へと向ける想像力が主なのでこのような言葉を思い浮かべている。

 しかし、なかなか答えが出ないというか、堂々巡りというか、沼に入りつつあるように感じている。

 だからと言って、考えを止めたくはない。ゆっくり考え続けることにしようか。

スリム化

今週のお題ビフォーアフター

 

 今年に入って体重の増加が著しく、まあ今年に限った話ではないのですが・・・。体重計に乗るということが習慣化していないのではっきりとはわからないが、過去最高値に近かった。これはまずいのではないか、と思い体重を気にすることにした。

 とは言いつつも、大したことはしていない。張り切りすぎて息切れするというのは幾度も経験したことなので、ゆるく行っていった。

 とりあえず、毎日体重計に乗ることは意識した。意識することで考えるというか気づくきっかけになるかと思ったからだ。あと、食事量を心持ち取り過ぎないようにすることも意識している。心持ちなので厳密にはしていない。これぐらいゆるい方が僕には合っているので。

 そうしているとスリム化にある程度成功した。半年前と比べるとー2㎏ぐらい。まあ微々たるものではある。しかし、このまま年末年始に突入するときっと過去最高値は更新していただろうから、少しは安心している(笑)。

 年末年始にきっとこのスリム化は終わってしまうだろう。それでも、年末年始は楽しみたいと思っている。