小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

臨時休校の学校現場⑭「九月入学について」

 なかなか学校を再開することができていない。地域によっては再開する所も出始めている。ゴールデンウイークに入る前辺りから、にわかに「九月入学」という案が検討されているような知らせも出てきた。でも、ゴールデンウイーク明けに、学校の再開が見え始めたからか、このニュースもさほど盛り上がっているわけではないように感じている。もしかすると、水面下では具体的な案が練られているのかもしれない。

 ということで、僕なりに「九月入学」という案に対しての立場を表明してみる。誰も待っていないように思うが(笑)。

 「九月入学に是か非か」と問われると、「どちらとも言えない」というのが答えである。いきなり腰砕けのように感じられるかもしれないが、もうしばらくお付き合いください。「是か非か」というのは、苫野一徳先生が警鐘を鳴らしている「問い方のマジック」の典型的なものである。これだとどちらかが正しくてどちらかが間違っている、となりがちである。

 まず、「九月入学が是」という立場に立つと、思い浮かぶ理由が二つある。

 一つ、海外の学校入学と同じになるということ。だから、是非ともやるべきである、とは思っていない。

 二つ、新型コロナウイルスが収束に向かわないという最悪のケースを考えてのこと。学校が再開される地域も出てきてはいる。しかし、これが全国一律に行っていけるかは、まだまだ不透明である。楽観視して「もう大丈夫」とは言えない。そうなってくると、学校の再開がさらに遅くなるかもしれない。そうなると、それを来年の三月までに教育活動を終えることは難しくなる。そこで、九月入学にし、そこから一年間ということにする。つまり、今年度を一年と半年のように考えるということ。

 次に、「九月入学が非」という立場に立つと、思い浮かぶ理由がまたもや二つある。

 一つ、九月入学の議論が十分でないということ。九月入学の議論は多くなされているのだろうか。僕の周りでは、戸惑いはしているものの、具体的な議論なんてなされていない。これが多くの方の態度のように思う。もちろん、こういう緊急事態下において、いたずらに時間を経過させることは避けないといけない。だけど、それでも民主主義というのは、進みつ戻る作業を繰り返すものなのではないか。そんな危惧を抱いている。

 二つ、日本の学校文化が崩れる弊害への懸念。現在の学校は多くの課題を抱えている。しかし、公教育なので多くの人が学校へ通うという経験をしている。桜が咲き誇る中入学を迎える。暑い盛りにはプールや夏祭りを行う。吹く風が涼しくなってきた頃に運動会や学習発表会や宿泊行事を行う。まだまだ寒さが残る中巣立っていく。このような典型的なパターンを多くの人が共通体験していることになる。これは、もう文化レベルで根付いているように思う。だが、「九月入学」になることで、この文化も変わらざるを得なくなる。そのことで起こる弊害は具体的に何なのかは考えもつかない。もしかすると、弊害なんてないのかもしれない。でも、何か心で引っかかるものがあるのは確かである。

 以上が、僕の「九月入学」についての考えである。どちらかと言うと、非の方に重心がかかっているようである。是:非=3:7ぐらいだろうか。自分なりに情報を集めつつ考えをバージョンアップさせていきたい。

 

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