小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ポスト・コロナの学校現場⑱「葛藤の中でいるということ」

 以前の記事でも書きましたが、新型コロナウイルスの影響で行事の計画が難しい状況です。二学期というのは、大きな行事が多くあります。運動会、遠足、学習発表会、修学旅行等々。

 だから、これらの行事を実施するのか、ということに頭を悩ませることになります。上記した行事は、学校生活の思い出の中では上位に位置しそうなものばかりである。だからこそ、余計に頭を悩ませるのである。

 さて、散々悩んだ挙句、実施することとする。そうなったとしたら、次にはどのように実施するのか、ということに頭を悩ませることとなる。例えば、運動会ではどのような種目を行うか、観客の人数が絞るか等々。簡単に実施するとはならない。もちろん、実施しないと決めた場合でも頭を悩ませることとなるのだけど。

 ちなみに、ここで実施する実施しないという問題には答えがない。どちらがよいかを判断するのは難しい。どれだけ納得できるかというのがあるだけ。そして、全員が同じように納得することはほぼ不可能と言っても差し支えない問題でもある。だから、頭を悩ませるのである。

 ここまでのことを踏まえると、教師は「葛藤の中でい続けている」こととなる。現在のコロナ禍の中では、教師だけでなく多くの人が「葛藤の中でい続けている」のだとは思うが。例でも挙げたように、「葛藤の中でい続ける」ということはかなりしんどいことではある。

 でも、この「葛藤の中でい続ける」ことって、けっこう大切なことなのではないか、と思う。なぜなら、教師は葛藤の中でいることが基本なのではないか、と思うから。そうは言いながら、普段はそうではないように思い、教育をしている。葛藤の中でいない振りをしているように感じている。葛藤の中にいることを意識しすぎると、確かにフットワークが重くなってしまう。しかし、葛藤の中にいるということを全否定するような態度はよくないのではないか。そう感じている。

 新型コロナの影響で、「葛藤の中でい続ける」教師というのが浮かび上がってきている。葛藤するということを引き受けながらも、日々の教育を推し進めていく、という態度を今一度再確認することが求められているのではないだろうか。

 

【過去記事】

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