ポスト・コロナの学校現場の記事の中でも書いたように、新型コロナウイルスの影響でリスクを回避することが難しくなっている。もちろん、少しでもリスクを小さくしようと、学校現場だけでなく多くの場で苦心されている。
学校はこのリスクについて大いに考えている場所である。考えているというか、考えざるを得ないというのが正直なところではあるが。それだけ、保護者等からの要望が絶えないということ。
例えば、「いじめ0」を掲げる学校がある。きっと多くの学校ではこれに近いようなものを掲げていることだろう。このことは決して悪いことではない。「いじめがあった方がいい」なんてことを言う人はいない。だけど、これはなかなか難しいことでもある。でも、目指していくことについては異論はない。
このような「ゼロリスク信奉」とでも呼ぶべき態度は学校ではよく見られる。学校だけでなく公務員と呼ばれる職業ではよく見られるようにも思う。「ゼロリスク」を目指すということは悪いことではないが、それに躍起になると現場でいる者は息が詰まる。「ゼロリスク」を維持し続けることは容易いことではないから。どこかで無理が生じる。
だから、「ゼロリスク」を捨てて、「いじめがあってもいい」とするわけではない。「ゼロリスク」を目指すが、何が何でも「ゼロリスク」を達成するのだ、ということは改めませんか、と提案したい。つまり、「リスクは存在する(し得る)」ということを共通理解しておきませんか、ということ。これが、タイトルにも書いたように「ゼロリスク信奉を捨てる」ということ。
リスクは存在すると認識するからこそ、それを少しでも小さくするように工夫する。リスクは存在するが、もう一方のリスクと天秤にかけ決断する。このような態度の方が有益ではないだろうか。
コロナ禍でリスクは存在する。ゼロにすることは到底不可能である。であるならば、「ゼロリスク信奉を捨て」、より学校現場に必要なことを選択することの方が大切ではないだろうか。そこにリスクは存在するのだけど。まず、「ゼロリスク信奉を捨てる」ことから始めてみてはどうだろうか。
【過去記事】
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