小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

何の仕事をしているの?

今週のお題「お父さん」

 

 自分の父親が何の仕事をしているのか、自分が子どもの頃知っていましたか?

 僕ははっきりと知りませんでした。正直に言うと、大人になった今でもはっきりとは知りません(笑)。

 僕が父に興味がなかったわけではありません。いや、ものすごくあったわけでもありませんが。父が自分の仕事について話す時はちゃかすというか、はぐらかすというかで、しっかりと話してくれなかったのです。

 安心してください、決して話すのに憚られるような仕事ではありません(笑)。そんなに特殊なことをしていたわけではありません。きっと仕事内容を聞くと何の感想も持たないぐらい一般的なものです。

 それにも関わらず、話したがらなかったのだ。

 単に興味を持ったのか、学校の課題として取り組まないといけなかったからなのか、父に「何の仕事をしているの?」と聞いたことがある。その時には、「ただ外に行っているだけ」「遊びに行っているの」等という返答し得られなかったことをはっきりと覚えている。

 今さら、あの当時どうしてあんな返答だったのか、ということを聞こうとは思わない。野暮かな、とも思っている。

 せっかくなので、その時の父の気持ちを想像してみる。父親というのは仕事に出ていて、どちらかと言うと家のことについて疎かになる。疎かにしているつもりはないのだが、母親に頼る場面が多くなる(これはあくまでも僕の家の話です)。だから、父としてはそんなことよりおどけて家庭の雰囲気をよくするように努めていたのではないだろうか。

 まあ、かなり良い方向に考えすぎているように思うけど。こんな気持ちを僕も持つ日が来るのだろうかな。

プロレスにおけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない

プロレスにおけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない(by TAJIRI)

 

 TAJIRIは、僕がWWEを見始めた頃にSmackDown!のクルーザー級の主力の一人であった。ヒールとしていることが多かったので、日本人レスラーでありながらあまり好きではなかった。それなら、同じくSmackDown!で活躍していたFUNAKIの方が好きだった。

 そんな僕としては馴染みのあるTAJIRIが本を出した。ということで、早速手に取り読んでみた。これがすごく面白かった。思わずプロレスファンの同志におすすめしたぐらい(笑)。その書評も書いているので、よければ読んでみてください。

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  そんなTAJIRIの言葉から考えることがたくさんあった。そこで、何回かに分け、TAJIRIの言葉を紹介しつつ、考えたことを書いていくことにします。

 今回、紹介するのが記事のタイトルにもなっている「プロレスにおけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない」というもの。

 この言葉の「プロレス」という所を「教師」と変えて読んでもらいたい。つまり、「教師におけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない」ということ。

 教師は誰しも「理想の教師像」なるものを持っているものだ。そして、どこかにあるその理想の教師像に向かい、歩み続けている。だけど、それはいつになっても到達することができない。なぜなら、それは理想だから。

 僕は理想の教師像を持つことは悪いことではない、と思っている。理想の教師像を持つということは、「こうなりたい」「これができるようになりたい」という目標につながるから。でも、理想の教師像に向かうことよりも、自分が持っているキャラクターに合った教師像に向かう方がよい、と思っている。

 そのためには、自分を客観視する作業が必要になる。これがけっこうしんどい。その過程では、自分では認めたくないキャラクターだって認めないといけなくなるから。それは痛いほど理解できる。

 だけど、自分が持っているキャラクターから出発しないと上手くいかない。そんなことをTAJIRIの言葉から考えた。だから、まずは自分を客観視するという作業をする。そして、その自分のキャラクターを受け入れ、それを活かす方法を考える。このようなプロセスを教師だって経ないといけないのではないだろうか。

発想の源を問う

 学校が再開され、ようやく新しい学級や学年に慣れ、授業も本格的になってきているところではないでしょうか。今年度も算数専科ということなので、算数に関する本を紹介することにしよう。

 今回紹介する本は、最近読んだというものではない。前に読んだものである。そして、今年度を迎えるにあたり読み返した本でもある。それが、記事のタイトルにもなっている『発想の源を問う』である。著者は、東京学芸大学附属小金井小学校の加固希支男先生である。加固先生は、「志算研」や「全国算数授業研究会」等でも精力的に実践を発表されている。「志算研」の著書も以前に紹介したので、よければ参照してください。

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 さて、「発想の源を問う」ということはどういうことだろうか? 著者の加固先生は以下のように説明している。

発想の源とは、子供が問題を解いた解法の基になっている見方や考え方である。解法の根幹となる考え方ということができる。よって、子供の解法に対して、「どうしてそうしようと思ったの?」と問うことが、発想の源を問うということになる。

 これで、「発想の源を問う」ことのだいたいは理解できだろうか?

 また、加固先生は、「発想の源を問う」ことが必要だ、と考えたきっかけについても説明している。

「友達の説明を聞いている子供」の多くは、目の前の問題の解法の理由は理解することができる。友達が、整数×小数の計算が「整数と同じように計算して、あとで小数点を付ける」という手順で計算ができる理由を説明してくれれば、その理由はわかる。

しかし、小数×小数や分数×分数の計算の仕方を考えるとなったとき、また「友達の説明を聞いている子供」になってしまうのである。

  どの子も自分自身で学びを創造していけるようになるには、「発想の源」を共有する必要があるということだ。だから、授業の中で「発想の源を問う」のである。

 きっと、算数に熱心に取り組んでいる教師は、「発想の源」を引き出すことはしているのではないだろうか。だけど、その引き出した「発想の源」を、板書して共有するということはなかなかしていないのではないだろうか。というか、僕はそこまでできていなかった。だからこそ、加固先生が提案されている「発想の源を問う」ということに、とても納得することができた。

 それに、「発想の源を問う」ということは、算数授業だけでなく、他の教科・領域でも使うことができることではないだろうか。僕は算数でしか実践できないが、是非他の教科・領域でも活用してみたい。

 今年度は算数授業に力を入れたい、と考えている方にとっては必読の一冊であろう。そう考えていない方も是非とも手に取ってもらいたい。

発想の源を問う

発想の源を問う

 

ポスト・コロナの学校現場③「時間があまったら何をする?」

 学校現場に子どもたちの姿が戻ってきた。まだまだ日常通りとはいかないが、ずいぶんと学校現場は活気づいてきている。それと同時に忙しくなってきてもいる。

 その一つの要因は、授業のことである。新型コロナウイルスの影響で、長い間臨時休校であった。そのため、学習進度が大幅に遅れている。それをどのようにしていくか、ということについてかなり考えている。

 ということで、普段よりも速いペースで学習が進められている。これは仕方のないところである、と思っている。でも、学習を終わらせるためだけに、速いペースにしているのは果たしてどうなのか、とも思っている。

 ある授業に入っていて、以下のような場面に遭遇した。

 本時の学習を一通り終えた。その時、少しではあるが時間があまっていた。

 こういうこともありますね。では、このあまった時間をどのように使いますか?

 ①さらに学習を進める。②自由な時間にする。③ミニゲーム等の活動をする。

 ぱっと思いついたものを書き出してみた。他にもあるかもしれない。

 ここで、もう一度おたずねしましょう。あまった時間をどのように使いますか? 使っていますか?

 これが正解というものはないのだが、安易に①を選択したくないな、と思う。確かに学習進度は遅れている。だけど、せっかく登校できるようになり、学校という場に集まることができるようになったのだ。そのことをできる範囲で、みんなで楽しみとして共有したい。僕はそう思っている。

 むしろ、そのようにできるように時間をあまらせるようにしたい。そこが教師としての腕の見せ所なのではないだろうか。そこは工夫次第なのではないだろうか。

 しつこいようだが、学習進度は遅れている。そこは考えないといけない。でも、やっぱり学校に集まれるようになったからこそ、集まることができるようになり良かったな、という思いを共有したい。

 

【過去記事】

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どんな傘が好き?

今週のお題「傘」

 

 いつの間にか全国的に梅雨入りとなりました。新型コロナウイルスの猛威に右往左往している間にも、季節は進んでいるのだな、と改めて感じている。

 さて、梅雨入りということで、湿っぽい天気が多くなる。そこで活躍するのが雨具。その中でも「傘」は一番の代表選手であろう。僕は雨具の中で「傘」しか使っていない。
 ここでみなさんにおたずねしたい。どんな傘を使っていますか、と。もっと具体的にするなら、「長傘を使っていますか、それとも折り畳み傘を使っていますか」と、おたずねしたい。
 自分の回りを見渡してみると、長傘を使っている人が多いように思う。子どもたちは大抵が長傘を使っている。中には雨合羽を使っている子も見られる。長傘の方がカバーされる範囲が広いし、畳みやすいからよく使われている、と僕としては分析している。
 でも、僕は折り畳み傘を使っている。かれこれ何年になるだろうか?
 少し考えてみると、五年は確実で十年は自信がないぐらい、と結論づけられた。まあ、けっこう愛用していることは間違いない。
しかし、どうして折り畳み傘を使っているのか、と聞かれてもはっきりとは答えられない。
 確かに長傘の方がカバーされる範囲が広いし、畳みやすく片づけられやすい。だけど、折り畳み傘はコンパクトだ。だから、持ち運びしやすい。出かける時にカバンに入れておくことができる。
 傘は、持って行ったのに使わなかったということがたまにある。その時、長傘はただただ大きな荷物になってしまう。「これがなかったら、あの時ゆったりと過ごせたよな」なんて思ってしまう。しかし、折り畳み傘は、大きな荷物になることはない。そこが大きな利点だろう。
 こういう理由で、僕は折り畳み傘を使っているのだろう。とりあえず、暫定的ではあるがこれを答えにしておこう。
 とは言いながらも、けっこう体が濡れることもあり、少し悩んでいるのだけどね(笑)。

生徒指導の学び始めに

 生徒指導を学び深めたい、と思い、今さらながら『生徒指導提要』を読んでみました。

 かなり面白かった。今まで読んでいなかったことを後悔したぐらい。

 生徒指導というと、何となく厳しい指導のようなイメージがある。だけど、決してそれだけではないということを改めて確認することができた。

 まだ読んだことのない方は一読をおすすめします。

 時間的な理由等でそれが難しいという方はどうすればいいだろうか? 大丈夫です。資料集的な書籍が出版されています。

 それが『「生徒指導提要」の現在を確認する理解する』である。

 現在の生徒指導においてのトピックを広く知ることができる。でも、その反面一つひとつのトピックが詳しくない。もっと知りたい、と思ったものについてはさらに学びを進めていかないといけない。

 だから、あくまでも資料集のような位置づけとなる。もちろん、教科書の位置づけは『生徒指導提要』である。

 この二冊に目を通せば、生徒指導の全容や現代的な課題について網羅することができるだろう。まだ目を通したことない方は是非とも手に取ってみてください。

生徒指導提要

生徒指導提要

 
『生徒指導提要』の現在を確認する理解する

『生徒指導提要』の現在を確認する理解する

  • 作者:中村 豊
  • 発売日: 2019/04/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ポスト・コロナの学校現場②「声が聞こえない」

 学校が再開となり、子どもたちが登校するようになった。まだまだ全員がそろうことは難しいが、子どもたちの姿を見ることができてるのは嬉しいことである。

 さて、遅ればせながら「学級開き」となる。まだ全員がそろっていないので、「学級開き」とはならないかもしれないが。そして、間髪入れずに学習が始まる。

 僕は今年度も学級担任をしていないので、いくつかの学級の様子を見ることができた。そこで感じたのは、「子どもたちの声が聞こえてこない」ということ。

 この原因は二つあるように考える。

 一つ、学習内容を標準時間に追いつくようにハイペースでこなしていること。学習の遅れというのは気になるので、いつもよりハイペースになってしまうのは理解できる。

 二つ、子どもたちが緊張していること。自宅に引きこもっておかないといけない時間が長かった。だから、学級の友達やもちろん担任と会うのも久しぶりである。また、学級の全員が登校していないので人数が少ない。

 授業もそうだが、休憩時間でも、「子どもたちの声が聞こえてこない」のである。

 まだ楽観視できない状況なので、言葉を発することは控えているのもわかる。

 でも、子どもたちの声が聞こえてこない、というのは寂しい。そんなことを臨時休校中に考えていたので余計にそう感じた。

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  まだまだ語りにくい時期なのかもしれないが、せっかく学校に集まったのだから、子どもたちの気持ちを語る時間をつくりたい。そこまで大げさに考えなくてもよいので、子どもたち同士で何とか会話する機会をつくりたい。もちろん、そこには教師も混ざりながら。

 それぞれの想いというか気持ちを共有してからじゃないかな、スタートは。焦らなくてもいいのではないかな。

 

【過去記事】

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流行がわからない!

今週のお題「外のことがわからない」

 

 新型コロナウイルスの影響で、めっきりと外に出なくなりました。いや、外に出なくなったの間違いだろうか。

 でも、僕としてはさして困っていません。以前から引きこもりに近い生活スタイルなので(笑)。そんなことも記事にしました。

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  外に出なくなり困っているわけではないのだが、タイトルにしているように、全くもって流行がわかりません! 前から流行をわかってはいなかったのですが…。拍車をかけてわかりません。まあ、わかったところで乗るつもりはありませんが(笑)。

 外に出ると、「こんな物がよく売れているのか」「これが流行りの食べ物なのね」等と情報が自然と入ってくることになる。本屋に行けば「こんな新刊が出たのか」「これ文庫になってるじゃん」等の情報が自然と入ってくる。

 外に出ず、流行に疎くなると、ますます自分の興味ある範囲でしか情報を得ようとしなくなった。それでも別に困っていないし、快適に過ごせる。だけど、自分の興味あるところだけで留まることになり、結局視野が狭くなってしまっているのではないか、とも思う。

 それを外に出ることで自然と解消していたのだろう。それがなくなってしまった。繰り返しになるが、別に困っていないし、快適なのですがね。

 でも、ぼちぼち外に出ようかな、と思っています。だけど、思ってからまた時間がかかるのだよね(笑)。まあ、ぼちぼちとね。

なぜ好きではないのか?

 職員室にいると、こんな声が聞こえてきた。

 「歴史が始まるのか~、歴史苦手なんよね」と。

 自分はどうだろうか、と考えてみる。

 僕にとって苦手な教科は「理科」である。いつからなのかはっきりと思い出せないのだが、苦手であることは間違いない。

 さて、ここでまた考えてみる。

 僕は、どうして「理科」が好きではないのだろうか?

 何でだろうか?

 ちょっと考えてみよう。せっかく不意に生まれた問いなのだから。

 好きではないことに向かい合ってみるということは、自分自身に向き合うことになるのではないか、と考えている。

 まあ、こんな問いに応えたとしても、僕にしか意味のないものなのだろうけど(笑)。もし、少しでも興味があれば応えを楽しみにしておいてください。

何と言う?

 子どもたちと対峙していると、とっさに言葉を出さないといけないことが多くある。子どもたちは、なかなか口がたつので気が抜けない。なおかつ、その時の状況を考えながら言葉を選ばないといけない。かなり難しいことである。

 そんなことに向き合い実践を重ねられたものを読むことができる。それが今回紹介する本である。

 でも、これは著者である池田先生だったらこのように言葉をかける、というものである。池田先生だからこそ機能している言葉だということは忘れてはいけない。

 自分だったら、子どもたちにどんな言葉をどのようにかけるのかを考えないと意味がない。自分だったらこの状況だったらどんな言葉をどのようにかけるかを考えるきっかけとなった。

 また、そうだよな、と納得したのは叱る時に気をつけたいこと。

まずいのは、「ま、今回はいいか。次から叱ろう」とすることだ。確かにちょっとしたことぐらいで叱るのは、精神衛生上もよくないし、生徒との人間関係を築きにくいと思うかもしれない。

しかし、これは逆である。例えば、子どもの悪さを3回我慢するとしよう。そして、4回目にとうとう我慢できなくて爆発する。

教師にしてみれば、(3回も我慢してやったのに、直らない。馬鹿たれ!)という思いがある。が、これは教師から見た図である。

(子どもの側からしてみれば、これぐらいで突然爆発して。変なんじゃないの。この先生?)となる。

  教師は子どもたちの言動にいきなり叱らない。それなりに様子を見て勝手に我慢している。そして、もう我慢ならんという時に叱る。でも、我慢していたのは教師の勝手なのだ。それなのに叱ってしまう。

 そして、教師と子どもたちの感覚に解離が生まれる。それが積み重なり関係が悪化してしまう。そうなると指導どころではなくなってしまう。このような状態に陥ってしまわないように心がけないといけない、と思った。

 子どもたちに対峙する前に読んでみると何かヒントを得られることでしょう。

ポスト・コロナの学校現場①「確認をコミュニケーションの場にする」

 学校が再開となった。このことを素直に喜ぼう。子どもたちも嬉しそうにしている(ように勝手に感じている)。

 でも、油断は禁物である。学校という場には多くの人が集まることになる。そこでの集団感染には気をつけないといけない。予防し切れるということはないが、できることはしていかないといけない。

 さて、先日まで「臨時休校の学校現場」と題し、臨時休校の学校現場での様子や気づき等を記事にした。興味のある方はまとめてみましたので、参照してください。

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  学校が再開となり、ポスト・コロナのステージとなった。ここでの学校現場の様子や気づき等を書き残しておきたい、と思った。そこで、今回からどれぐらいになるかわからないが、「ポスト・コロナの学校現場」と題し、記事にしていくことにする。よければご覧ください。

 

 どの学校でもしていることは、健康観察ではないだろうか?

 その日の体温や体調を記録し、提出してもらっている。この確認がないと学校にいてもらえない、というのは少し複雑な思いもする。でも、互いが安心して過ごすためには、今必要なことだ、と思っている。

 ということで、子どもたちは学校に来たらまず手を洗い、そしてこの健康観察チェックを提出することとなる。

 ここでの教師の言葉かけはたいていが「熱測ってきた?」「チェック表ある?」といった確認のものである。しかし、これでは味気ないように思う。せっかく子どもたちが学校に来て、コミュニケーションを取ることができるようになったのに、コミュニケーションを取るどころではない。それではもったいない。

 だから、確認の言葉かけをしないわけではないが、なるべくコミュニケーションを取る場にしようと意識している。例えば、「ご飯食べてきた?」「元気?」「何か雰囲気変わった?」等々の言葉をかけている。

 もちろん確認もしないといけないので、十分なコミュニケーションを取ることができているとは思えていない。でも、「塵も積もれば山となる」という言葉があるように、小さいことの回数を重ねていくことで大きなものになるのではないか、と信じている。

 何かを得るためにしているというよりは、子どもたちとの温かいふれ合いを求めているという方が正しいのだが。大変な時期であるということはわかるのだが、可能な範囲でふれ合いを大切にしていきたい。

行きつけの場所

今週のお題「好きなお店」

 

 本屋はだいたいどこでも好きだ。本がたくさん並んでいるというのは、僕の胸を踊らせる。ちなみに、図書館も好きだ。

 よく行く本屋は家から少し行った所にある。最近は足しげく通うことはできていない。一番通っていた時は週に三回は行っていた、と記憶している。それだけ通っていると、本の並びまで覚えることができる。だから、売れたりして本がなくなると気づくことができる(笑)。それぐらい通っていた。
 さきほども述べたが、最近は足しげく通うことはできていない。でも、時間を見つけては本屋に行っている。
 ネットショッピングでも本を買うことができるのに…、と思われる方もいるでしょう。僕もよくネットショッピングで本を購入している。だから、別に本屋に通う必要はない。
 だけど、本屋に足が向く。それは、自分の意識の中にない本に出会うことができることが大きな理由である。ネットショッピングでは、自分が買いたいものを手間なく買うことができる。
 でも、本屋ではそうはいかない。買うつもりではなかった本から誘惑を受けることになる。また、自分自身の気分が変わることもある。だけど、そうでもしないと出会わなかったかもしれない本がある。そんな本たちが僕の本棚にも並んでいる。
 そんなことを考えていると本屋に行きたくなったので(笑)、記事を書き終える前に本屋に行ってきた。前から気になっていた本が文庫になっていたので購入した。
 やっぱり、本屋が好きだな、と改めて感じた。

学校再開を目前にして

 いよいよ学校の再開が目の前にやって来た。本当に長かった。

 でも、悪いことばかりではなかった。というより、そう思いたいという気持ちが強いのかもしれない。それは、臨時休校の学校現場でいろいろと考えることができたから。

 「臨時休校の学校現場」と題して考えたことは記事にしました。下の方にリンクを張り付けてますので、よければ興味のあるものだけでも目を通してみてください。

 臨時休校だから見えたことや考えられたことがあった。学校が再開するとこの見えたことや考えられたことはどう関連していくだろうか。

 そんなことも楽しみながら、子どもたちとの再会を楽しみたい。

 

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腹を割って話そう

 みなさんは「水曜どうでしょう」という番組を知っていますか? いや、知らないのですか!? とりあえず観た方がいいですよ!

 と、このように言ってしまうぐらいの「水曜どうでしょう」ファンである。先日まで新作が放送されていた。それも楽しく観させてもらった。新作から観た人にとっては面白さは伝わったのかな、と思いながらも。

 新作を観たこともあり、何度目かわからいが自分の中での「水曜どうでしょう」熱なるものが高まっている。そこで、藤村・嬉野両ディレクターが対談した本を読んでみた。それが『腹を割って話した』と『腹を割って話した(未知との遭遇)』である。

 ファンとしては二人が対談しているものを見ることができるだけで嬉しい。二人が腹を割って話している中で気になる記述がいくつかあったので、それを紹介する。

 まずは『腹を割って話した』から。

みんな「温泉」につかろうっていう発想が無いんだよね。気持ちよくもなんともないところに、わざわざ行こうとしている。

そういう人は「温泉」につかって「あ―、気持ちいいなあ~」っていう経験がたぶん無いから――

仕事を気持ちいい「温泉」にしようって考えたことが無い。

その『どうでしょう』を、なんで視聴者がおもしろがってくれるかというのは――俺もどっちかっていうと、立場は半分、視聴者だと思ってるからね、なんとなくわかるような気がするんだけど、やっぱりラクなんだと思うんだよね……。『どうでしょう』っていう世界は、眺めていてラクになるんですよ。私も作りながら、ラクになるわけですよ。

  次に『腹を割って話した(未知との遭遇)』から。

きっと、大きな物語とか大きなイベントとかは、人を日常から引きはがしてしまうものなんだよね。強い刺激のような、ショックのような。だからそれが弾みになったり、何かのきっかけになったりする。でも日常を失くして、イベント一色になって、のべつ幕無しに弾んでばかりいたら、おれらの中身は空っぽになるだけっていう感じはする。

だから、『どうでしょう』がこんなに見られているっていうのは、われわれがそうした社会人としての約束事に捕らわれずに、抑圧されずに人生を遊んでいる、つまり生きているっていう状態を現場で実現している、今や稀有なバラエティ番組で、だからついつい見ちゃう――っていう。

  いかがだろうか。この引用だけでは少し意味がわかりにくいものがあるのではないだろうか。それは今回紹介した本を読み、是非とも「水曜どうでしょう」を観てほしい。

 あと、「水曜どうでしょう」で感じたことを教育に援用しながら教育論を語るということができるのではないか、と考えている(笑)。僕としてはけっこう真面目に。また形になったらブログでアップしようと思う。

腹を割って話した

腹を割って話した

 
腹を割って話した(未知との遭遇)

腹を割って話した(未知との遭遇)

 

臨時休校の学校現場⑯「ピボットで動く」

 全国的に緊急事態宣言が解除されてきている。少しずつであるが、活動規制の緩和もされるようになってきている。ようやくよい方向に進んでいる、と感じられるようになってきた。

 ということで、学校も少しずつ開く方向に進んできている。でも、まだまだ課題は多くある。それに、なかなかどのように対応するかも決まっていない。職員室では侃々諤々とまではいかないけど(笑)、いろいろと想定しながら話し合っている。
 話し合いながら、二つの考え方がある、と感じた。
 一つ、考えを明確にしその通りに進めようとする、という考え方。考えが明確なので、意見がはっきりしている。また、考えがブレないので軸があるように感じられる。
 二つ、臨機応変に対応できるようにする、という考え方。先が見通せない状況なので、決めたことでも変わることがある。その時に対応するのは容易になる。
 おおざっぱではあるが二つの考え方にまとめてみた。もちろん、おおざっぱであるので、純粋にこの二つの考え方に分けられるわけではない。でも、集約するとこの二つの考え方になる。
 さて、ここでどちらの考え方が重要であろうか、という問いが浮かぶ。話し合いでも、出発点が違うので考えの相違点が気になってくるので、自然とこのような問いを立ててしまう。
 自分で問いを立てておいて恐縮であるが、どちらの考え方も重要である、というのが僕の答えである(笑)。軸がしっかりしていて考えがブレないのも重要であるし、臨機応変に対応できるのも重要である。
 そう考えていると、ピボットで動くイメージが頭に浮かんだ。ピボットとは、バスケットボールでよく見る動きのことである。軸足は動かさず、もう一方の足を動かして相手をかわしたりする。コンパスのような感じ、と言えば伝わるだろうか?
 大切にしたいことを軸足に置きつつ、臨機応変に対応できるように動けるように構えておく。このような考え方がぴったりなのではないだろうか。また、このような考え方は現在の状況だけでなく、これからも使えるものなのではないだろうか。
 
 緊急事態宣言が解除される方向になってきた。「臨時休校の学校現場」と題して書くのも今回が最後になるだろう。最後になれば嬉しい。臨時休校だから見えたことや考えられたことがあった。学校が再開するとこの見えたことや考えられたことはどう関連していくだろうか。そんなことも楽しみながら、子どもたちとの再会を楽しみたい。
 
【過去記事】