小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ポスト・コロナの学校現場㉘「寛容な心で」

  新型コロナウイルス感染拡大防止に努めているが、なかなか状況は好転してかない。全国各地で毎日のように新型コロナウイルスの感染者が出たことが報道されている。また、政府が行っている「Go To キャンペーン」が新規予約を停止する等、また厳しい状況に向かっているようにも感じられる。できることは、手洗い・うがいやマスクの着用等だろうか。

 このように書いて一週間が経った。しかし、やはり事態は好転しない。すごく悪くなったわけではないが、悪化するのは時間の問題のように感じられる。不安と隣り合わせの日々である。

  このような状況になってくると、現在過ごしている日々のことが、当たり前でなくなってくるかもしれない。やっと、コロナ禍というこにも慣れてきつつあるにも関わらず。学校現場としても、新たな判断や厳しい判断をせざるを得ない日が、近いうちにやって来るかもしれない。

 さて、このような状況において必要なものの一つが、題名にも書いた「寛容な心」ではないだろうか。

 そんなことを思い至るようになったのは、東京大学国際基督教大学名誉教授である村上陽一郎の論を読んだからである。その箇所を引用してみる。

私は、「寛容」の定義の一つとして、人間が判断し行動するとき、「ベター」と思われる選択肢を探すべきであって、「ベスト」のそれを求めるべきではない、というルールを認めることである、と書いておきたい。

  これは判断する者と判断を受け入れる者(評価する者)、どちらも射程に入ったものである。判断する者は、「ベスト」を探しつつ、より「ベター」を選択する必要がある。往々にして「ベスト」を求め過ぎ、判断が遅くなることがある。そういうことにならないように気をつけたい。判断を受け入れる者は、「ベスト」を求め過ぎないようにする必要がある。結果を見て評価することはできる。もちろん、それ自体は悪いことではない。しかし、その結果を厳しく評価することにより、判断する者の判断力を削いでいるかもしれない、ということに気をつけないといけない。

 「寛容な心」なんてそんなものは毒にも薬にもならない、と思われたかもしれない。確かに、すぐさま何かしらの効果が得られるような代物ではない。しかし、僕は「寛容な心」が、コロナ禍だけでなくこれからの社会にとって必要なものだ、と思っている。

【過去記事】

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